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普遍人間学 -教育の基として-

[][教育]

普遍人間学  -教育の基として- 本
ルドルフ・シュタイナー(著者)
鈴木 一博(翻訳)
1919年8月〜9月、シュタイナーはドイツで はじめてのヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)開校に際して、教員向けに連続講義を行いました。
この連続講義を記録した『普遍(一般)人間学』と『教育芸術』は、全世界に広がるヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)の教員にとって、また教育に携わるすべての人々への一冊です。
<目次>
  • ワルドルフ学校、ひとつの文化の行ない。一貫性のある学校としてのワルドルフ学校。妥協もやむをえないこと。学校と政治。授業の墓場としてのボルシェヴィズムの学校。共和制の学校運営。教育コースの節分け、あまねきかたちでの教育学、方法論、練習。アントロポゾフィーと授業、および宗教の授業。教師に欠かせない性質、世への関心、熱いこころ、精神のしなやかさ、沿う、尽くすということ。
  • 教育の課題のモラル・精神のアスペクト。ワルドルフ学校の設立、「世の精神の祝い事」として。今日の文化が人のエゴイズムに応じていること、不死についての問いを例に。教育が「生まれる前における高いものたちの働き」の引継ぎであること。「胎教」の問題。地での「ある」へと降りるにさいし、二重の三節、精神の人、生命の精神、精神みずからと、意識のこころ、分別もしくは情緒のこころ、感覚のこころ(こころ・精神)がさらなる二重の三節、アストラルのからだ、エーテルのからだ、フィジカルなからだと、動物界、植物界、鉱物界(体・からだ)につながること。こころ・精神を、体・からだと折り合わせることが教育する人の課題であり、それは一、呼吸を神経・感官のプロセスと調和させるによってであり、二、目覚めと眠りのふさわしいリズムを教えるによってであること。教師と子どものあいだの、内なる、精神におけるかかわりの意義。
  • 授業の基としての、アントロポゾフィーの知にもとづく心理学。現代の心理学の、内容を欠いた〈考え〉。想うと欲するの中心的な意義。想いが像の特徴を有し、生まれる前のところの映し返しであること。意欲が死の後のこころと精神のリアリティの萌しであること。生まれる前のリアリティが想いになりかわるのは、アンチパシーによってで、その力が嵩じ、憶える力、〈考え〉となること。欲するのシンパシックな力が嵩じ、ファンタジー、イマジネーションとなること。血液と神経。神経の、物質になろうとする向き、血液の、精神になろうとする向き。脳、脊髄、交感神経でのシンパシーとアンチパシーの混じり合い。人の三分節、頭であるところ、胸であるところ、手足であるところ。三つの節の働き交わしと、そのそれぞれとコスモスのかかわり。教育における意欲の養いと想いの養い。
  • 万有の法則を広やかに観ることも、教師であることの基であること。人というものを二つの節に分かつことが、今日の心理学の大きな間違いであること。エネルギー保存の法則が間違いにつながること。人において新たな力と素材がつくりなされること。自然のうち、分別でつかまれるのは、死しつつのところであり、なりつつのところが、意欲でつかまれること。〈わたし〉という感覚の基としてのからだ。感官から自由な考えるのうちの自由のひととき。人がいなかったら、自然が死するであろうこと。地の繰り出しにとっての、人の亡骸の酵素機能。死をもたらす力が、(死した)骨のシステムと(死しつつの)神経のシステムに司どり、生命を与える力が、血液のシステムと筋肉のシステムに司ること。佝僂病(くるびょう)について。骨が「幾何をする」こと。幾何がコスモスの動きの映りであること。世を見遣る者でなく、世の「現場」としての人。血液と神経が触れ合うにより素材と力が新たに汲まれること。科学の方法。なにもかもを定義する代わりに、公準をたてること。
  • 意欲との重なりにおける情。欲するものとしての九分節の人。いちいちの節における意欲のかたち、からだでは、本能としてフィジカルなからだのうちに、もよおしとしてエーテルのからだのうちに、慾として感覚のからだのうちに、こころでは、意欲が〈わたし〉に取り込まれ、動機として、精神では、萌しながらも、願いとして精神みずからのうちに、意図として生命の精神のうちに、つもりとして精神の人のうちに。分析心理学が、わたしたちのうちの「もうひとりの人」の、意識されない意欲を探ること。老いた意欲としての知性主義、なりつつの意欲としての情。社会主義の教育。意識してする繰り返しによって意欲が耕され、つもりの力が高まること。そのかかわりで芸術の練習の意義。
  • こころの三つの働きが注ぎ合うこと。知に沿うところと意欲に沿うところのつながり、視るというアクトでのアンチパシックなプロセスとシンパシックなプロセスのつながり。人は動物よりも周りの世から括れていること。考えると欲するが通い合うこと。観るで世から括れ、ふるまうで世とつながること。動物的で「シンパシックな」本能との戦いが、モラルの理想を組み入れるによってなされること。こころの働きと働きの注ぎ合い、人の、客に沿った判断の技量を巡るブレンターノとジグヴァルトの論争を例に。情が抑えられた知であり、抑えられた意欲であること。欲すると考えるのうちに潜むシンパシーとアンチパシーの顕れ。情がからだであるところに生じるのは、血液と神経が触れ合うによってであること。目と耳を例に。音楽を聴くでの知と情を巡るワーグナーとハンスリックの争い。今日の心理学の弊害、感官の教えを例に。カント主義の間違い。
  • コースの節分け。人をここまではこころの視点から、終わりにはからだの視点から、そしていまからは精神の視点から見てとること。意識のありよう。考えつつ知るは、まるまる意識される・目覚めての働き、感じるは、半ば意識される・夢みつつの働き、欲するは、意識されない・眠りつつの働き。夢みがちの子および鈍い子とのつきあい。〈わたし〉がすっかり目覚めて生きるのは、世の像においてのみ、現実の世ではそうはいかないこと。〈わたし〉がこころの働きのうちに生きるのは、像をもって目覚め、考えつつ知るのうちにであり、夢みつつ、かつ意識されないインスピレーションとともに、感じるのうちにであり、眠りつつ、かつ意識されないイントゥイションをもって、欲するのうちにであること。悪夢について。イントゥイションが昇りくること、ゲーテの『ファウスト、第二部』の創作を例に。像をもって知るには、イントゥイティブな欲するが、インスパイアーされる感じるよりも近しく重なること。眠りつつの欲するから頭が引き離されていること。
  • 精神の視野における人、意識のありようを見てとること。とらえるということについて。精神であるところをからだであることのうちに受け入れる力が、年をとるとともに失せること。子どもの感じつつ欲するから、老人の感じつつ考えるへ。大人については、まぎれなくこころであるところが見られること。自由のひととき。感じるを欲するから解き放つことが、教育の課題であること。感覚というもの、今日の心理学の間違った見解、モーリッツ・ベネディクトの真っ当な知。感官の域としての、からだの表側の眠りつつ・夢みつつの自然。感官による感覚の、意欲の趣であり、情に沿いつつの自然。子どもの感覚と老人の感覚の違い。人の空間的なつくりのうちの、目覚める、夢みる、眠る、すなわち眠りつつ・夢みつつの周辺と内側、そのあいだに神経のシステムがあること。神経とこころ・精神であるところとの重なり、すなわち、こころ・精神であるところに向けて、弛まず死つつのところにより、空(から)の空間がつくりなされること。人の時間的であることの重なりでの、眠る、目覚める、すなわち忘れる、想い起こす。
  • 忘れる、想い起こすを、眠る、目覚めると比べること、睡眠障害を例に。想い起こすということ。想い起こす力と意欲が教育されるのは、習いであるところに働きかけるによってであること。憶える力が強まるのは、集中的な関心を呼び覚ますによってであること。人の自然を一面で節分けしてつかみ、もう一面でまとめて観ること。十二の感官。〈わたし〉の感官、他の人の〈わたし〉を覚える(知のプロセス)と、みずからの〈わたし〉を覚える(意欲のプロセス)の違い。考えの感官。感官を十二の節に分かつこと、意欲の感官として、触覚、生の感官、動きの感官、バランスの感官、情の感官として、嗅覚、味覚、視覚、熱覚、知の感官として、〈わたし〉の感官、考えの感官、聴覚、言語の感官。世が十二の感官によって切り分けられ、判断するでまたつなぎあわされること。精神を、意識のありよう(目覚める、夢見る、眠る)で、こころであるところを、生命のありよう(シンパシー、アンチパシー)で、からだを、形のありよう(球の形、月の形、線の形)でつかむこと。
  • はじめの三つの七年。論理的に考えるの三つの節、結び、判断、〈考え〉。結びが健康に生きるのは、まるまる目覚めた生のうちであり、判断が夢見るこころへ、〈考え〉が眠るこころへと降りること。こころの習慣が養われるのは、判断するの趣によってであること。眠るこころへと降りる〈考え〉が、からだのつくりに働きかけること、ことに今日の一様な顔立ちは、その働きかけによること。生きた〈考え〉が欠かせないこと。定義する代わりに、ことを述べるということ。動きゆく〈考え〉と固まった〈考え〉。人と言うイデーを築き上げていくということ。子どもの意識されない基の気分、はじめの七年での「世は善く」、よって倣うに値するとの気分、それは生まれる前の、過ぎ去ったことの志であり、二つ目の七年での「世は美しい」、芸術のうちに生きること、いまを楽しむこと、三つ目の七年での、素地としての「世はまことなり」、科学的な授業、これからへの志。
  • 付録 自由ワルドルフ学校の開校式での挨拶から マリー・シュタイナーの序とともに
    • この版について
    • テキストへの註
  • 人名索引
寸法:横 約12.5cm×縦 約19cm×厚み 約25mm
380ページ

 
 


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