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ルドルフ・シュタイナー 〜 わが生涯の出会い

[][キリスト者共同体]
ルドルフ・シュタイナー  〜 わが生涯の出会い キリスト者共同体 本
フリードリッヒ・リッテルマイヤー(著)
輿石祥三(訳)
「 本書は、フリードリッヒ・リッテルマイヤーによる、ルドルフ・シュタイナーとの出会いの回想録、Friedlich Rittelmeyer, "Meine Lebensbegegnung mit Rudolf Steiner", Verlag der Christengemeinschaft, Stuttgart, 1928 の全訳です。
 リッテルマイヤーがシュタイナーに出会ったのは一九一一年、三十九歳の時のことでした。以来一九二五年のシュタイナーの死に至るまでの十四年間の出会いは、プロテスタント教会の有名牧師であったリッテルマイヤーが、新しい宗教運動であるキリスト者共同体設立に人生を捧げた歩みに、決定的な役割を果たしました。リッテルマイヤーはまた、世間の無理解や攻撃にさらされていたシュタイナーを公的に擁護した最初の知名人でもありました。本書は彼のシュタイナーとの 「生涯の出会い」の回想を集め、シュタイナーの死後三年目に出版されたものです。その誠実で真摯な記述は、人間としてのシュタイナーの真の姿を知る上での最上の文献の一つとされ、今日なお広く読まれています。
 なお原書は、リッテルマイヤーの意向を反映して、多くの回想を断片的にまとめる形になっていますが、本訳書では、日本の読者のために章立てと小見出しをつけ、必要と思われる言葉には註を付しました。
 本書が、ルドルフ・シュタイナーのありありとした人物像に関心を持たれる方、さらにはキリスト者共同体と人智学との深い結びつきについて知りたい方の役に立つことができれば幸いです。」(本書「訳者による序文」より)
「私にとって人智学は、唯物主義の外に最終的に導いてくれる人類的行為であり、中部ヨーロッパから全人類に働きかけようとする霊的な救済の業であり、この時代の純粋な探求精神によるキリスト教の救済であり、人類が破滅しないためにまさに必要な、現代における真のキリストの言葉なのである。
・・・
この業は今や完成した。それは大いなる問いのようにして人類に向かって立っている。彼に属する者達が皆、全力を尽くして共に一致協力して取り組むならば、それは広まっていくことだろう!(本文より)

 ルドルフ・シュタイナーの人物像に、これほど真摯に向き合った証言は他に例がありません。真理を前にして、謙虚で誠実な姿勢と、人間性にあふれる人物像は、目を洗われるような読書体験となることでしょう。」(本書 表紙ウラより)
【目次】
  • 訳者による序文
  • 第一章 出会い 1911〜1913
  • 第二章 戦禍の中で 1914〜1918
  • 第三章 新たなる出発 1919〜1925
  • 原註・訳註
  • 訳者あとがき
「(前略)リッテルマイヤーには、精神の独立性を守り、率直に疑問を投げかけ、納得のいく範囲で助言を受け入れるという姿勢がありました。シュタイナーがそれをが高く評価していたことは、本書の随所から伺われます。現代人にふさわしい霊的世界への道、人智学でいうところの「意識魂の時代」にふさわしい師弟関係が、ここから育ち始めます。
 この最初の対話から、二人の関係は次第に深まり、やがてリッテルマイヤーは、シュタイナーの人智学の最上の理解者となります。その頃のシュタイナーは、世間の無理解にさらされ、多くの敵対者に取り囲まれていましたが、リッテルマイヤーはシュタイナーを公然と擁護する決意を固めます。当時のドイツにおいて、リッテルマイヤーほどの社会的名声と影響力をもつ人物は、シュタイナーの周りにはほとんどいませんでした。リッテルマイヤーは執筆活動や講演活動で人智学を護するだけでなく、一九一八年には「ルドルフ・シュタイナーの生涯の仕事』と題する本を、多くの理解者との共著で刊行しました。それは、公的世界にシュタイナーを本格的に紹介する最初の試みとなり、シュタイナーはそのことに深い感謝を示しました。
 その後もリッテルマイヤーとシュタイナーとの関係はさらに深まり、第一次世界大戦の破局を避けるために全力を尽くし、敗戦後のドイツで新しい社会を築こうと、数多くの試みに邁進したシュタイナーの姿が伝えられています。リッテルマイヤーの回想にとどめられたシュタイナーの言葉の端々からは、時代への深い関わり、人間の自由への絶対的な敬意と信頼、未来への切実な希望が感じられます。
 さらにリッテルマイヤーの本業である宗教にも、シュタイナーは多くの示唆を与え、そのもとで新しい宗教の道である「キリスト者共同体」が一九二二年に設立されました。
 有名牧師の地位を投げうって、この新しい運動に生涯を支える決意を、リッテルマイヤーは自分自身の内的なキリスト体験の中で固めます。それは、シュタイナーが伝えてくれた儀式である「人間聖化式」を瞑想する中で、「パンとワインがキリストの体と血に変容する」いわゆる「実体変容」 (聖変化)が、現実に可能になるという体験でした。リッテルマイヤーの「シュタイナーとの生涯の出会い」は、人智学による文化世界への新しい働きかけと共に、宗教と認識の合一を背景とする新しい宗教活動としても実を結んだのです。敗戦後の混乱期にあったドイツで、未来の人類文化への希望が誕生したのです。
 その後まもなく、シュタイナーは一九二五年に惜しまれつつ世を去りました。本書は、シュタイナーの委託で行われたその葬儀の感動的な思い出をもって結ばれています。(後略)」(本書「訳者あとがき」より)
フリードリッヒ・りッテルマイヤー
1872年、南ドイツのディリンゲンに生まれる。エアランゲンとベルリンで神学を学び、23歳でヴュルツブルグのヨハネス教会の代理牧師となる。1903年、論文『フリードリッヒ・ニーチェと認識の問題』により哲学博士号取得。1903年からニュルンベルクの聖霊教会牧師。1911年にルドルフ・シュタイナーと初めて出会う。1916年、ベルリンの「新教会」主任牧師。1922年、キリスト者共同体創設にともない司祭就任、1922年より 総代表を勤める。1923年よりドイツ人智学協会理事。1925年ルドルフ・シュタイナー死去に当たり葬儀を担当。1935年にドイツで人智学協会が禁止され、キリスト者共同体の禁止令を出させないよう努力しているさ中、1938年講演旅行中ハンブルクで死去。
輿石祥三
東京生まれ。東京大学文学部卒。学習塾勤務のかたわら高橋巌氏のもとで人智学を学び、83年渡独。シュトゥットガルトのヴァルドルフ教育教員養成所、キリスト者共同体自由大学(神学校)に学ぶ。帰国後、翻訳会社勤務。同時期に日本でのキリスト者共同体設立準備にたずさわり98年再渡独、翌年司祭に就任。ベルリン集会で司祭研修後、2000年から日本のキリスト者共同体東京集会で働く。
寸法:横 約13.5cm×縦 約21cm×厚み 約12mm
224ページ
   
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ルドルフ・シュタイナー  〜 わが生涯の出会い キリスト者共同体 本
ルドルフ・シュタイナー 〜 わが生涯の出会い
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